先々月末、父を98歳(数え年100歳)で見送り49日も無事終えることが出来ました。
やはり、亡くなってしまうと良い思い出しか残らないものですね。
気が短くわがままで、すぐ大声を出して怒鳴る困った人ではあったけれど、今思えば、元新聞記者だっただけに豊富な知識を持ち正義感が強く、間違ったことが許せない性格でした。そして、私には優しかった…(それなのに、考えたら私は優しい娘ではなかったなぁ)
大往生も大往生…やり残したことももうないだろうと思われる父の100年近い人生。ですが、それだけ高齢でも頭はしっかりしていた父…(足腰が弱ってさえいなければ)まだやりたいことはあったのかもしれない…と私はふと思います。
父が亡くなった翌日、お通夜の前に「湯潅」という「儀式」に私と妹の二人で立ち会わせていただきました。
湯潅師の女性が二人、父の体を浄めて納棺して下さるというものですが、その際「逆さ水の儀」といって私と妹と交代で白布をかけた父の遺体の足元から胸元へお湯(ぬるま湯)をかけるのです。
湯潅師…おくりびとの若い女性が、その白い手で丁寧に父の頭をシャンプーし顔も体も優しく洗いあげて下さる様子を見ながら、私は父の声が聞こえるような気がしていました。
ああ、気持ちがいい…ありがとう…
お父様、良かったね…

そうでしたか。お父様98歳での旅立ちでしたか。
我が家の義母は昨年末に95歳での旅立ちでした。
お父様と同様に足腰は弱りましたが、頭は最後までしっかりしていましたね。
そんなに苦しむこともなく眠るように...やはり大往生でしたね。
kerocatcyanさん
お義母さま、95歳で見送られたのですね…
うちの父も穏やかな顔をしていて、最後を看取ることが出来て良かったです。