今日は、このブログを始めた記念日だということで‥
かと言って、別にそれとはなんの関係も無いのですが(^_^’)‥先日久しぶりに(たぶん40年ぶりくらい)郷里の従兄弟と電話で話をしました。従兄弟の母、私にとっての叔母が先月亡くなり、弔電とお香典を送ったことへのお礼の電話でした。
叔母は私の母の姉、母は九州の三潴郡の出身で、母を含め母方の親戚は独特のイントネーションの方言を話します。
「りえちゃんな、えらい都会に行かしゃったもんじゃけん‥。」あ、いやいやそれが都会じゃないとよ。東京とはいえ、私の住んでるとこは、めちゃめちゃ田舎なのよ‥。懐かしい方言を聴きながら、私は小さい頃この従兄弟や叔母との思い出に想いを馳せておりました。
叔母はいつもお化粧気のない人でしたが、とても美しい人でした。若き日の叔母を見初めた国鉄の職員だった叔父は、戦時中だったか戦後だか、とにかく食料が手に入らない時代にどこで調達したのか缶詰めやらなんやら色んな贈り物(?)を持って遊びにくるようになり、 結果祖母に気に入られ、叔母を射止めることが出来たと母に聞いたことがあります。
叔母は信心深い人で、私の結納の時手伝いに来てくれたのですが、その時に何かを感じたらしく自宅に帰ってから高熱を出し寝込んでしまったとかで‥この結婚は大丈夫なの?と後に母に聞いていたそうです。
確かに‥大丈夫ではなかったかもしれない。。。
叔母はそして、最愛の息子、前述の従兄弟の弟を不慮の事故で亡くし、そのことが原因で喋ることが出来なくなり‥
それを聞いたのはもう何年も、何十年も前のことでした。長い時間の中で、私は一度も叔母に会いに行かなかったことを、今さらながら悔いています。
次に帰省した時、必ず叔母さんにお線香をあげに伺うわね。そう約束して‥何故だか今頃涙が止まらなくなってしまった‥。